第5回田園ウォーキング みぶ

第5回田園ウォーキング

第5回田園ウォーキングのコースに伝わる、昔ばなしをご紹介。

さくら市発行 歴史あそびBOOK1『小さな大大名 喜連川足利氏 その城下町の歴史と文化』より
※著作権:さくら市(転載を禁じます)

影さし璉光院

 むかし、荒川の川上に、槻(つき)の大木があり、あまりの大きさから月夜になるとその陰が璉光院まで届いたそうです。その木に、九尾の狐といって、都の御殿に住みついて、様々な悪さをした妖怪が、あろうことか、追い出された後、その木に住みついてしまいました。
 狐の後を追ってきた勝善卿(しょうぜんのかみ)という人が、退治のために、大木を斧で切り始めます。しかし、不思議なことに、オガクズは翌日になると幹に戻ってしまいます。
 勝善卿は考えたすえ、木の横にカマドを作って、切るそばからオガクズを焼き捨てました。とうとう、木は切り倒され、九尾の狐は那須野ヶ原に逃げ去りました。
 そのことから、槻の大木の根元を流れる川を狐川と呼ぶようになったそうです。


きつねの嫁入り

 喜連川という名前の起こりは、むかしから荒川の近くにキツネが多く住んでいて、そこから「狐川」と呼んだことが始まりだと言われていました。
 そんな荒川に面した山裾は、どうゆう訳か、春と秋の陽気の良い夕暮れの頃に、松田から鷲宿山谷にかけて赤い火が点々と灯ります。ついては消え、消えてはつく様子は、とてもきれいな幻の世界だったそうです。
 この不思議な光景を、人々は「キツネの嫁入り」だと言っていました。


伝説の姫君 嶋子

 大蔵ヶ崎城主の塩谷惟久には足利頼純の娘で嶋子という大変美しい妻がいました。1590(天正18)年の小田原攻めの頃、豊臣秀吉はそれぞれの大名に対して、人質を出すよう命じました。しかし惟久はそれに応えられず、秀吉の怒りを恐れて鷲宿村に移ってしまいました。
 そこで嶋子は、夫である惟久の無実と断絶しそうな古河公方家の再興を古河にいる豊臣秀吉にお願いするため、死を覚悟しつつ、古河に向かいました。
 秀吉は美しい嶋子の願いを聞き入れ、古河公方で残った氏姫と弟国朝を結婚させ、喜連川の地で再興させました。
【歴史ばなし】
 近世に書かれた系図以外で嶋子の名前や塩谷惟久との結婚、秀吉の側室もしくは人質化などが分かる資料は現在確認できません。
 ただ、「月桂院殿(げっけいいんでん)」として東京都の月桂寺に眠る人物が、足利頼純の娘で嶋子でないかと考えられます。美貌の嶋子にモデルがいたこと、足利氏の再興が喜連川だったことから、塩谷市に嫁いでいた可能性は十分考えられます。
*大蔵ヶ崎城:お丸山公園(喜連川)にあった城の名前。
*塩谷惟久:塩谷氏としては、大蔵ヶ崎城最後の城主と伝わる武将。
*塩谷氏:喜連川足利氏より前にこの地を治めていた氏族。
*古河公方:室町将軍家から分かれ、鎌倉から後に古河へと本拠地を移した足利氏のこと。他に小弓公方、堀越公方などがある。